2007年11月22日木曜日

感覚スケッチ

楽しくわかる操体法』 (医道の日本社)に付録として書かれている「感覚スケッチ」というのが、面白い。


著者に直接聞いたところよると、痛みや不快感は 体が何かを訴えているのだから、直接そのまま、聞いてみてはどうか、ということらしい。

感覚そのものに耳を傾けるだけでいい、という。

ほぼ同じ様なことを、心理学の分野でより掘り下げて研究しているようなので、今さら大声でいうことでもない、ということで付録扱いにしたようだが、フォーカシングやプロセスワークとは少しニュアンスが違う。


プロセスワークやフォーカシングは 体の感覚に耳を傾け 別の物語(体は何を言おうとしているのか?)に翻訳する。

これらは「治癒」あるいは「成長」という目的を持っている。

未来に目指す状態があり、そこに「向かう」こと自体が、時間イメージを含んでいるから、ワーク自体が 一種の物語である。

この本の、「感覚スケッチ」は、どうやら、治癒や成長を目指しているわけでもないらしい。

喋ってるんだから、聞いてみれば?というだけの事のようなのだ。

体との対話そのもの(プロセス)を大事にするのは同じだが、ワークというようなものではなく、むしろ、ゲームに近い。


治癒や成長を目掛けて、感覚に耳を傾けるのは、「治療」あるいは「瞑想」である。

目的を持って何かを「する」のは、なかなかめんどうなものだが、聴くのは簡単だ。

わざわざ聞こうとしなくても、耳は、勝手に聞いているし、わざわざ感じ取ろうとしなくても、体は勝手に感じとっている、と。


しかし、感じられて来るままでいようとしても、アタマは勝手に考え始め、起こりつつあることをコトバの世界で扱おうとする。

「何故」 あるいは 「どうして」 と無理矢理にコトバの「因果」ルールにはめ込もうとする。

「好き/嫌い」などの、「分類」ルールで処理しようとする。

あるいは、胃が痛いとか、関節が痛い、傷口が疼く、など、既に出来上がっている言葉(概念やイメージ)、にはめ込もうとする。


それでは、「全く聞いていない」と言う。


そこで、勝手に動き回ろうとするコトバを、別の回路に連れ込んで、捕まえてしまう。


同じく「質問―回答」ルールで捕まえるのだが、今度は、「なぜ?」と問わず、「どのように?」と問いかける。

するとアタマは、観察内容の翻訳(表現)で手一杯になってしまい、原因や結果という時間軸に沿って妄想を膨らませる暇がなくなる。

質問を「感覚の様子」に限定しているので、感覚から注意を逸らせるわけにも行かず、物語に逃げる事も出来ない。


だから、リズムが必要だ。 

  その感覚の範囲は?
  大きさは?
  長さは?
  幅は?
  深さは?
  厚みは?
  形は?
 色に喩えると何色?
 材質に喩えるとすれば、何?

と、矢継ぎ早に「問い」続けることが、ポイントなのである。

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